久伊豆神社の由緒
忍城の鬼門を守り、長野の地を見守り続けてきた神社
埼玉県行田市桜町に鎮座する久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)は、古くから長野地区の鎮守として崇敬され、地域の人々の暮らしとともに歴史を歩んできた神社です。
その創建は室町時代の文明年間(1469〜1487年)と伝えられています。成田氏第十四代の成田下総守顕泰が忍城を築くにあたり、城の北東にあたる鬼門を守護する神社として祀ったことが始まりとされています。また、隣接する長久寺を別当寺とし、神仏がともに城と地域の安寧を祈る場所となりました。
古来、鬼門は災いが入り込む方角と考えられ、その守護は城や町を守るうえで重要な意味を持っていました。久伊豆神社は、忍城の守護という由緒を持ちながら、長野村の鎮守として、人々の祈りを受け継いできました。
御祭神
久伊豆神社には、大己貴命(おおなむちのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)をはじめ、21柱の神々が祀られています。
大己貴命は大国主命とも呼ばれ、国造りや縁結び、五穀豊穣の神として知られています。事代主命はその御子神であり、商売繁盛や福徳をもたらす神として広く信仰されています。
このほかにも、火や水、自然を司る神々、厄除けや家内安全を守護する神々、学問や人々の縁を見守る神々が祀られています。
それぞれの神々への信仰には、豊かな実りや家族の健康、暮らしの安寧を願う人々の思いが込められています。
地域の信仰
明治42年(1909年)には、地域に祀られていた26社が久伊豆神社に合祀されました。これにより、地域のさまざまな信仰が久伊豆神社へと受け継がれることになりました。
さらに昭和30年(1955年)には、楯場に祀られていた赤飯稲荷神社が境内に遷されました。
久伊豆神社は、こうした地域の信仰を受け継ぎながら、長野地区の鎮守として人々の暮らしを見守り続けています。
歴史を伝える文化財
久伊豆神社には、地域の人々が大切に守り伝えてきた貴重な文化財があります。
その一つが、明治17年(1884年)に氏子総代たちが勝海舟に揮毫を依頼した「勝海舟書 大幟原本」です。長さ約10メートル、幅約1.2メートルの大幟は、地域の人々の神社への厚い信仰を今に伝えるもので、行田市指定有形文化財となっています。
また、境内には美しい花房を垂らす藤があり、季節の移ろいとともに参拝者の目を楽しませています。
長野の獅子舞とともに
久伊豆神社の秋季祭礼では、300年以上の歴史を持つと伝えられる「長野の獅子舞」が奉納されます。その始まりは江戸時代中期の正徳3年(1713年)と伝えられ、五穀豊穣や無病息災、家内安全を願う地域の伝統芸能として受け継がれてきました。
現在は長野ささら獅子舞保存会によって継承され、平成21年(2009年)には行田市指定無形民俗文化財となりました。
室町時代の創建伝承から今日に至るまで、久伊豆神社は時代の移り変わりを見守りながら、人々の祈りと地域の文化をつなぐ場所であり続けています。